……………
この端末には、レアスキル"トランスモーフ"が収録されています。
アクティベートしますか?
▶︎はい いいえ
……………
スキル?
いや、でも、落ち着け。アクティベートは分かるぞ、使えるようにするってことだ。
そうだ。次第に分かってきた。
ここはおそらく異世界だ。
異世界転生ものなんて、ネット上の小説だけだと思っていたが、何がどうなったのか、俺は自分の家のパソコンの前から、見も知らぬ森の中に飛ばされたのだ。
幸か不幸か、異世界転生ものなら何度も読んだ記憶がある。
転生した主人公はどうなる?
そう、今、俺が直面している場面は「異世界で生き抜くための強力な力を手に入れるシーン」にちがいない。
それならば、ここは ▶︎はい 一択だ。
……………
スキル"トランスモーフ"をアクティベートしました。
……………
よし、これでスキルが使えるはずだ。
……………
ステータスを更新しました。
ホーム画面に移動します。
……………
ホーム画面?ああ、そうか、タブレットだもんな。いい機会だ、機能を確認しておかなければ。
「え?」
驚いて声が出てしまった。
画面には俺がいつもボカロ丼で使っていた名前が映し出されている。
どうして俺の名前が?
……………
音声によるユーザー認証を完了しました。
ライセンス登録の確認を行います。
しばらくお待ちください。
……………
ライセンス?認証?
何が何だか分からない。
そもそもこれは俺のタブレットじゃない。
しかも俺がボカロ丼でしか使っていないユーザー名で登録されている。
……………
確認ができました。
再起動します。
……………
再起動?
そうだ、思い出した。
俺は自分の部屋のパソコンでボカロ丼にログインしていた。しばらく眺めていたら管理者のTOMOKI++さんが、メンテナンスをしていて、ボカロ丼を再起動すると言っていた。そしたら……
……………
DON
development of original nerve
……………
再起動が完了したのか、画面に英語が映し出される。
「DO……N……ドン?まさか。」
パソコンばかり使っていて実際に使う機会はなかったが、リンゴのマークが描かれていることで有名なアレだ。
「なんでこんなところにタブレットが……」
よくわからないまま、目の前にあるタブレットに手を触れた。
触ってみたものの何も起こらない。
もう一度、周りを見渡してみる。
高い木々に囲まれて空は見えないが、上からは光が降り注いでいる。木の隙間から何本もの光が地面を照らし、目の前にある台座のような白い柱にも光がさしている。
森の真ん中にぽっかりとあいた広場のようだが、周りには何もいる気配はない。
自分と目の前にある白い台座に置かれたタブレットしかこの場所にはいないように感じた。もう一度、タブレットに手を伸ばし、今度は持ち上げてみる。
タブレットは何も抵抗することなくすんなりと持ち上げることができた。重さも形も普通のタブレットだ。裏返してみるが、ロゴはない。
「まさかこんなところに置かれていて電源がついたりなんてことは……」
電源ボタンを押してみると、急に画面が文字を映し出した。
……………
ようこそ
ドイル様
……………
森の中にいる。
目が覚めたとき、最初に感じたのは草木の匂いと地面の柔らかさだった。
どうやら外にいるらしい。
まだ頭が少しクラクラしているが、辺りを見回してみる。
高く生い茂った木々、薄暗く遠くまでは見えないが陽の光がところどころ差し込んでいるのが見える。
周りを気に囲まれた小さな広場のようなところにいるらしいが、とても静かだ。
ここが森の中なら風で木がざわめく音や、動物の鳴き声、虫の音色が聞こえてもおかしくない。だが、何も聞こえない。周りには自分以外、誰も何もいないと思えるほど気配が感じられない。
「どこだ、ここ。」
わざとらしく口に出して、地面に手をついて立ち上がる。どうやら何かにもたれかかっていたらしい。すんなりと立ち上がることができた。
「なんだ、これ」
俺がもたれていたのは、白い箱のような形をした何かだった。腰くらいまでの高さでその上には何かが置かれている。
銀色の縁どりがされた"それ"を俺は何度も見たことがあった。
「これ、タブレットじゃね?」
カーソルが使えないということは、電源ボタンを長押しするしかない。
データの破損は怖いが、幸い今はインターネット以外使っていなかったはずだ。
俺は電源ボタンを長押しする。
……………
おめでとうございます。
あなたは異世界に招待されました。
あと1分で転生作業を行います。
インストール実行中 90/100%
……………
電源が切れない。
なんでだよ!おい!
再び電源ボタンを押す。
……………
おめでとうございます。
インストールが完了しました。
転生を行います。
インストール実行中 100/100%
……………
電源が切れないまま、パソコンの画面がインストール完了を示す。
そこで、俺の視界は暗転した。
だが、よく見るとプログラムのウインドウに消すためのボタンが表示されていない。
……………
おめでとうございます。
あなたは異世界に招待されました。
あと4分で転生作業を行います。
インストール実行中 20/100%
……………
数字が増えている。何かは分からないが、ダウンロードもしていないのに、俺のパソコンに勝手にインストールが進んでいる。
そうだ、ウイルスソフトを起動すれば!
右下のツールバーにあるウイルスソフトを起動するためにカーソルを動か………
せない!!!
どうなってるんだ。
まさかボカロ丼が再起動したのを見ていたから、そこでウイルスが入り込んで?
仕方ない、こうなったら再起動だ。
おそらくこの様子では、タスクマネージャーも開けないだろう。
……………
おめでとうございます。
あなたは異世界に招待されました。
あと3分で転生作業を行います。
インストール実行中 50/100%
……………
ボカロ丼は"TOMOKI++"という管理者によって運営されている。少し前に即売会のイベントでお会いしたが、眼鏡の似合うフランクなイケオジの印象だ。偶然参加することになった打ち上げでも気さくに話をすることができた。管理者の顔を思い出しながら動かないローカルタイムラインに目をやる。
再起動完了しました。
#ボカロ丼業務連絡タイム
どうやら、再びローカルタイムラインが動き出すみたいだ。先ほどまでは、全員が晩御飯の写真を流す飯テロの時間だったが、次はどんな話題が流れてくるのか。
早速、ローカルタイムラインを更新しようとした瞬間、パソコンの画面に見慣れないウインドウが表示された。
……………
おめでとうございます。
あなたは異世界に招待されました。
あと5分で転生作業を行います。
インストール実行中 0/100%
……………
は?なんだよこれ。
パソコンの背景にはローカルタイムラインが映し出されているが、動いていない。
代わりにプログラムのウインドウが表示されている。
異世界?転生?どこかの小説じゃあるまいし、そんなことがあるはずない。
音声合成の話ばかりをしているかと言われればそうではなく、マインクラフトやFGOのようなゲームの話が出てきたり、突然哲学の話が始まったりすることもある気さくな場だ。
俺が始めてボカロ丼に入った時、"切身魚"という人が説明をしてくれた内容によると、ボカロ丼オリジナルのCDを出し、その売り上げでサーバーを維持しているらしい。
まだ入って1年も経っていないが、居心地はよく、俺も毎日のように顔を出している。
そういえばSNSだから本名を名乗っていないことを忘れていた。
ボカロ丼での俺の名前はドイル。推理小説が好きなわけではなく、名探偵でもない。本名の土居流星の前三文字を適当に読むと、ドイルになるだけだ。
話を戻そう。
運良く20時に仕事を終えて帰宅できたので、先ほどまでローカルタイムラインに張り付いていたのだが、どうやら管理者のメンテナンスがあったらしい。
だが、趣味のことを続けるためにはお金も必要だ。ライブのため、イベントためにと思いながら、この1年を乗り切ってきた。 先日の10連休も無理矢理出勤させられそうになったが、イベントと重なっていたため、上司に直談判して休みをもぎ取ったばかりだ。次の給与裁定のことを匂わされたが、これで給料が下がったらパワハラで訴えてやる。
ところで、そんな俺が最近よく顔を出すSNSがある。
ボカロ丼だ。
ボカロ丼はボカロやUTAUなどの音声合成技術を使った音楽文化に興味がある人が集うマストドンインスタンスだ。
マストドンを知らない人は、どこかの青い鳥と似たような機能を持っていると思ってくれればいいが、お互いにフォローしていなくてもローカルタイムラインという場所に情報が流れてくるところが一番ちがう。
そして、俺のような聞き専だけじゃなく、ボカロP、絵師、作詞家、動画やMMDモデルなどを制作している人、コスプレをしている人などが大勢いる。いわゆるクリエイターの集まりだ。自らを天使と名乗る人やペンギンやエイのような動物を名乗る人もいる。
2019年5月19日21:00
1分ほど再起動します
#ボカロ丼業務連絡タイム
どうやら今から1分間はサーバーが動きを止めるらしい。つい今しがたまで次々と流れていた文字列がピタリと動きを止めている。
俺の名前は、土居流星(どい りゅうせい)
流れ星が結婚したきっかけだったとかいうメルヘンな両親につけられた名前だ。
趣味はボーカロイド関係。
クリプトン、AHS、CeVIO、UTAU etc...
ボーカロイドに類するものなら食わず嫌いはない。
マジカルミライには毎年行っているし、声月やボカストみたいな即売会にも足を運んでいる。この間は、DJイベントにも行ってきた。
自分では曲は作らない、いわゆる「聞き専」だ。グッズを集めようとした時期もあったが、狭い家をさらに狭くする勇気はなかった。とはいえ、最近、仕事が忙しすぎて新しい曲を全く追えていない。
昨年の4月に大学を卒業して働き始めたのだが、何を間違えたのかブラック企業に入ってしまった。新人研修と言って、駅前で朝から夜まで名刺を配らせられた時には、正直その場で辞表を出そうかと思った。