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若いオタクあるあるとして、現実世界の狭いコミュニティにおいて自分が一番詳しい存在になってしまって「自分以外の、自分が好きな曲を好きな人」が見えない孤独感とついでに俺めちゃくちゃボカロ詳しい!的万能感を得るやつがあるんですが、そういう層が最初に「自分と同じくらい/あるいはもっと詳しい奴」に出会う場としてCafeが機能してて、たいへん良いです。

KiiteはKiite Cafeが元気である以上に、Kiite Cafe出身の若いリスナーが大量発生してて大変最高ですね。SNSをやってこなかった層を吸い上げまくっています。

喜兵衛さんの曲に対しては、少なくとも本能は全く古いって言ってこないですね。ベースに敷いてる音楽ジャンルの話とかは置いておくパターン。

ボカコレくんがルーキーランキング作ってるのとかも、本当にやりたいのは埋もれたPの再発掘なんだろうけれど、ここで指している「埋もれたP」を指す適切な語句や基準を決めることが界隈的に許されづらいからみたいなとこあるんじゃないかなあ・・・と勝手に思っています。

「埋もれた名曲10選!」とか、なんなら「ボカロ人気曲集!」とかも、失礼すぎて草って思っている。

みたいなのの延長線上に「拙い曲のこと、本当は拙いよねって言いたい」みたいなのがある。

こう、tiktokとかで「知ってる曲なら画面右側に、知らない曲なら画面左側にいくやつ」とかあるじゃないですか。ああいう消費方法ってボカロだと憚られる気がしているのだけど、しかしボカロファンの大半はボカロPじゃなくてただの聴き手なので、聴き手を増やしたい・聴き手に向けたコンテンツをやりたいのであれば、ああいう消費方法を自分もやったほうがいいのかもしれない、が、が……みたいな葛藤があったりする。

たぶん、萌え絵描き文化に触ってきた人間が多いからじゃないかと思っている。絵描きは「だれだれさんっぽい」をめちゃくちゃ嫌がるじゃない?

世代ですかねぇ……。アニメ作品とかですと、Aという作品のスタッフのTさんは、Bという海外の作品に影響受けて、この演出を手掛けた。C作品の監督は、A作品の演出を見て、Dを考えた、などの『文化の流れの中での位置づけ』や『相互の影響の有無』を語る文化がある(それはファンというよりマニアの語り)ように思います。寝言。

ぶっちゃけ、ボカロリスナー同士で「いまいちな曲」の話をするのはとても盛り上がるし楽しい、みたいなのがある。
この「楽しい」が、持つことすら許されない楽しさとして静かに扱われていることが少しもったいなく感じてたりもします。

ラジオとかで話してて思うのは、ボカロ界隈以外の人はわりと普通に「○○の影響をうけてる」「○○っぽい」を言うけれど、ボカロ界隈においてはそれらが禁句扱いになってるのがなんか特殊だしたまに不便だなって感じます

拙いからこそのパッションが刺さったとか、わざとかどうかが判断つかないけれどぎりぎりポップミュージックとして持ちこたえてるところが良いとか、好きポイントがそういう部分だったときに少し困ってしまう、みたいな……うまく言えないな……。

いまいち、って表現しているの、「拙い」にかなり近いかもです。そしてアリになってるので好きになったりもしている。

なんかこれ、音楽理論を知るほどどんな拙い曲でもアリになって、それが正解かどうかではなくただただ解釈だけが残る現象に似てる(そうか?

好きじゃない、と、悪い、の間には明確な差があって、「音楽としていまいちだけど好き」はある。

ん-別に曲側に転嫁しているわけではないというか、「曲の良さを理解できないのは自分が弱いから」という言外の前提があるからというか。

これはそうで、理想はすべてを好きになれること 好きになれない俺が弱い

自分が気に食わなかったことを曲側に転化すると「いまいち」といういい方になるんだろうな。

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