渋谷系概論序説その3
#ボカロ丼公式渋谷系コンピ(仮)参考資料集
さらに、アシッドジャズ系が渋谷系と捉えられる理由のひとつとしては、やはり渋谷系の代表的なバンドとされるオリジナルラブ(田島貴男はピチカートファイブの元メンバーであり、人脈的にもつながっていた)の影響も大きい。
当時はフリーソウル系とも呼ばれたが、サウンド的にはクラブジャズ/アシッドジャズ系(それまでの括りで言えばジャズファンク系、AOR系)の音楽性に近く、そうした影響のつながりには、現在の「シティポップ」へと至る音楽性の連なりも感じ取ることができる。
また、当時のクラブジャズの代表的なレーベルの一つ、英Talki'n Loudの創設者ジャイルス・ピーターソンはロンドンと東京を拠点にして活動していたため、日本のクラブジャズDJ(United Future Organizationなど)とも交流が深かった。