洋楽の文法でJ-POPを作ったのが渋谷系というか、洋楽の文法で邦楽を作ったのがJ-POPでその先頭が渋谷系というか、なんかその辺の分岐点が渋谷系にあると思います。(日本のPOPミュージックは当時はまだJ-POPとは呼ばれずに邦楽と呼ばれてました)
当時の言い方で言えば、それまでの邦楽は邦楽の耳で聴くもの、洋楽は洋楽の耳で聴くものだったのが、ある時、洋楽の耳で聴ける邦楽が登場したと。それが当時渋谷系と呼ばれいたような感じです。
僕自身はこの「洋楽の耳で聴ける邦楽」っていうのは実はそうでもない、と思ってるんですが、当時の捉え方とか全体の流れとしてはそんな感じだと思います。