音楽家として社会福祉とeスポーツに貢献する、異色で異業種コラボマン。ボカロPで、バリアフリープロジェクト『ヘルスケアフォルティア』キャプテン。
普段はおたまじゃくしのあかちゃんに音楽を教えています。立派な音符になるよう頑張って育成します。
その話をするんでしたらやはり最初の語り口がいけなかったんじゃないかと思いますが
音楽じゃないけどエンタメ文脈として(ここでは音楽を一旦芸術ではなくエンタメの文脈として扱うもとのします)
最近の話題で言うと推しの子リアタイ勢の最終話での阿鼻叫喚を体験できるかどうか話に近い?
そこを理論立てて感動の話をすり替えられている感が半端じゃないんですよね
別に同じ感動を得られなくても、それが「リアルタイムで聴けた衝撃こそ本当の価値」っていうなら激しい嫌悪感を抱く
同じ価値は得られないならまぁ言いたいことは分かる、リアルタイム性は音楽に限らずある
本当の価値ってそもそもどういうことやねん、音楽の最終的な価値なんてリスナーに委ねられるものだぞ
普遍性とか同時代性ってのを感動の話に持ち出そうとしてくると音楽というより情報を聴いているみたいな話になりませんか?
そこは逆で、ビートルズを通ってなくても今のロックやポップスの礎がそこにもあるっていうあたりで いやビートルズ普遍性獲得してるなこの話なら
情報を聴いてるんじゃあるまいし
というかビートルズだってある意味ではロック文脈におけるクラシック(狭義の意味)でしょうし
ネタバレってニュアンスで回避するくらいなら最初から同時代性って単語を出すべきではなかったと思う
いやネタバレともニュアンスが違うと思いますけどね
おれなんてビートルズはろくに聴いてない(通ってない)けど今から聴いても良いものだと思ったら良いっていうだろうし、当時の追体験がどうこうって話よりまず自分の感性を大事にしたほうが良いと思う・・・
チラっと見えたm-aさんの発言はちょっと語気が強めだったかもだけど、そう取られても仕方ないんじゃない?ってカンジだった
別に音楽理論を学んでから音楽に真新しい感動を覚えなくなるわけでもあるまいし
自分が気に食わんならそういう主張があってもいいとは思いますけど、人に押し付けるようなのはそれはそれでちょっと
別にビートルズに限らず良いと思ったものは良いものだし、それを他人がとやかく言うのはどうなんだろうかって
モノラルで聴くしかない
ドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコドコ
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