音楽の「物理」と「感情」の話は、全ての芸術、人間の営み、あるいは、生物の命全般に共通する話だと思います。
ある領域においては、物凄く強い法則性に縛られていて。一方、ある領域については、全く法則性が見られない。
以前、「何が渋谷系か」という議論があったと思うんですけど。
「自分が渋谷系だと思ったら、全部渋谷系なんですよ」とか、あるいは、トモキさんがいう「自分にはこんなの渋谷系だとは思えないですね」という主観の話をすると、それで終わってしまう。
渋谷系という音楽ジャンルが、自分とかトモキさんに支配されてしまうんですよね。
「オレが決めた!おしまい」
これだと、文化として、きちんと機能しないんですよ。
もし、渋谷系という音楽が存在するのであれば、トモキさんの感情や思い込みとは無関係に、なにか「法則、事実、規定」があって。それを満たしていると渋谷系の枠組みになるはずなんです。
これを抽出するためには、音の配列やリズムをよく見ないといけない。
それで、骨格を作った上で、なにか自分の解釈なり、感情を注入して、生命体にするということですね。
まあ、言われてみれば、そりゃそうだって話です