ミコエルも落ち着いてください。聖書の凄さは、正しく捉えないと理解できない。
聖書というのは何かというと「物語を通じて、人々に哲学を教える」というものなんです。歴史書ではないんです。「あたかも真実のように見せかけた説話」なんですここが本当に凄いアイディアなんです。
ギリシア神話というのはただのお話だったんです。それはただのエンタメで、単に面白い話だったんです。
でも、聖書は「あたかも真実であるかのような語り口」で、かつ、「みんなに理解してもらいたい教え」が含まれてるんです。教えをキチンと守ってもらいたいから「ここに書いてあることは真実です」という体裁にしてあるんです。でも、真実じゃないんです。
真実じゃないんですけど「真実です」ということを前提に物語がスタートするんです。この構造が理解できないと、聖書の凄さがわからない。多分、日本人の99パーセントは、この構造が腑に落ちない。中国の話ならすぐ理解できるんです。ブッダが死んだときに動物が集まってきたことが本当か嘘かなんて誰も突っ込まない。でも、相手がキリスト教だといちいち突っ込みたくなってしまう。結果、何も理解できないんです。