ポップンミュージックへの提供曲に「ラルプデュエズへの旅立ち」っていう曲名をつけたくらいにはツール好き。
https://www.youtube.com/watch?v=hgtlRGwZCOw
70年代以降の日本の歌謡曲のサウンドの変化(2
作曲家としてはフォーク界のスターだった吉田拓郎や小室等、井上陽水などが歌謡曲に楽曲提供をし始め、東芝など大手レコード会社のディレクターにもそうしたジャンルに理解のある人々が現れる。そうした人々が担う歌謡ポップスが当時「ニューミュージック」と呼ばれるようになった。
また、元々ジャズ系・テレビ局系の人脈から出た作曲家・筒美京平が、ロック・フォーク系出身の作詞家・松本隆とコンビを組んだことに端を発し、松本が売れっ子になると旧知の大瀧、ユーミン、細野、山下達郎らの作曲家とコンビを組んで歌謡界に楽曲提供をするようになり、現在「シティポップ」と呼ばれている一群の作品を残す。
これらの人々がエンジニアとともにサウンドプロダクションまでこだわった顛末は、今度公開される音響ハウス(レコード会社直営ではない、CMやそれらのミュージシャンによく利用されたレコーディングスタジオ)のドキュメンタリー映画で語られるんじゃないかと期待している。
70年代以降の日本の歌謡曲のサウンドの変化(1
それまでの戦後日本の歌謡曲・ポップスの主な担い手は戦前からのレコード会社専属の作曲家(今朝ドラ「エール」でやってるような話に出てくる人々。古賀政男、古関裕而、服部良一、戦後組だと吉田正、遠藤実といった面々)と、戦後の進駐軍廻りを由来とするジャズやカントリー、ラテンなどの出身の人々(ワタナベプロなど)やテレビ局の草創期に活動しはじめた作曲家(中村八大、宮川泰、いずみたく、すぎやまこういち、浜口庫之助など)だったが、GSブームの終焉を境に、70年代に入るとビートルズブーム以降のロック・フォーク由来のミュージシャンが歌謡曲の世界に進出し、音の傾向(コード進行やサウンドプロダクション)が変わっていったのだと思う。
学研ポケット・ミク企画開発 http://bit.ly/3a8wTmm /作編曲DJVJライター/ELEKTEL http://elektel.com (w/Ueken)/CTO LAB. http://ctolab.net (w/岡田徹&イマイケンタロウ) /アナログシンセSX150開発 http://bit.ly/2KibTPD /ビーマニポップン太鼓天てれ菊池成孔プチミレディ(悠木碧&竹達彩奈)サエキけんぞう等へ楽曲提供&制作参加