差別に関する真面目な話
「反差別」のための運動がヒートアップして、差別主義でもなんでもない人を差別主義者扱いして混乱に陥れるような事例というのはこれまでにもいくつでもあっただろうし、これからもあるだろうと思う。そういうのを見るととても残念。
けれども、そういう事例だけをもって「反差別」の運動そのものを否定したり非難したりするような反動的な流れが形成される状況というのもとてもまずいよね。
結局のところ「差別のない世界」を作ることが重要課題なはずだ。「差別をする人」や「差別に気づかない人」、「差別を許容する人」などを非難する行為は、「差別のない世界」を作るプロセスにおいて有用であれば手段としてはやればいいけれども、それ自体は目的ではない、ということは考えた方がいいんじゃないかと思う。
僕は、差別の元凶になっている「差別を生む構造」をあぶり出してそれを除去していくというのが「差別のない世界」を作る上での最適解だと思っている。その構造から生み出された「差別をする人」自体を糾弾することに注力するというのは、方向としてズレているし、運動の労力のかけ方としても効率が悪いのではないかと思う。