【国語】エッセイ 魔法少女小説 

魔法少女アニメが3作品もある今期。気分転換に魔法少女モノの小説を書いてみる。交通事故で異世界に転移した少女が魔法使いとなって勇者と魔王を倒し、日本に帰還して魔法少女として活躍する。

【美術】フィギュア夜話 中華メーカーがやばい  

中華メーカーには実力があり高品質のフィギュアを販売している。10年前の価格で...

1/6のフイギュアを日本メーカーが出せば25000円だが、中華メーカーならば8000円になる。

この傾向が拡大したとき日本メーカーは勝負できるのかと思う。

今日もあみあみで見かけたが、玉之けだま先生のキャラの2体セットの1/6のフイギュアが12000円て... 日本メーカーなら50000円しますよ...

【国語】エッセイ 公理の価値 

「公理」というのは数学の概念だが、数学者曰く「公理というのは証明するものでも信じるものでもない」という。ある公理xというのは採用するかしないかである。

映画ファンの多くにとって「映画というのはひとつの表現形態である」という命題は公理ではなく信じる対象である。だから、映画というコンテンツに対して、良くも悪くもこだわりを持って語れる。

それは「公理である」という概念を持っていないから信じる以外にないのかもしれない。

「公理」という概念を知ることで「ある公理を採用して議論をすすめる」という柔軟な視点が持てるように思う。

【国語】エッセイ 映画とは何か? 

10年続けたボカロ視聴を引退して、10年ぶりにアニメに復帰してから「いかに切り捨てるか」を重視してる。人間の時間は極めて短い有限だからだ。

最近、映画系youtuberが「テレビドラマの話はするのにテレビアニメの話はしない」ことに気付いて私は悟った。

学生時代は「映画って何だろう」と真剣に勉強したし「映画」という表現形態は今でも好きだ。しかし、時間は有限だから「何か」を切り捨てないとけない。で、私は「映画というのはひとつの表現形態である」という公理を廃して、「映画というのはアニメの配信形態のひとつである」という公理を採用することにした。

これにより実写映画は全て「見なくても良い」と切り捨てることが出来る。映画はアニメだけをみればいい。そして「映画はこうあるべきだ」みたいな視点は持たない。そういう視点は「映画というのはひとつの表現形態である」という公理から導かれるからである。

【美術】映画夜話 初音ミクが映画になる 

1月にミクさんの映画が公開されるみたい。ラブライブの映画見に行って知りました。まさか、映画館でミクさんのトークロイドが流れる日が来るとは。ちなみに、ラブライブの映画はけろりらさんをフィーチャーして最高の萌えアニメでした。

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