昨夜いろいろ考えてた、知性と感情と倫理の関係とかそのあたり、
社会契約論や正義論みたいな政治哲学の流れで考えるのと、倫理学や道徳哲学の流れで考えるのでは問題意識が若干違うような気がしてる。
プラトン、アリストテレスからカントまではだいたい古典として共通してると思うけど、その後近代~現代になると、取り上げるべき思想家も違ってくるし、同じ思想家でもどちらの文脈で読むかで解釈が変わってくるのではないか。
...などと思いながら昨晩は眠りについた。
そして、僕はこの分野の諸テーマ(特に近代以降)に関して、自分の考えが誰かからの借用であることは覚えていても、誰の何という著作に書かれていたのかなどは忘れてしまっている関係で、「誰のなんとか理論はどう」というようなことにはうまく言及ができないんだよな、ということに気づいた。
学者じゃないのでそれはそれでいいんだろうけど、なんかしっくりいかないので再読してメモなどを取っていくのがいいかもしれない。
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