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自分の考えを他の人に向けてアウトプットする時にはたしかに「自分がどう考えるか」を伝えるわけなので、どこから拝借したかは重要じゃなくて、それに共感した自分の言葉で表現できればそれでよさそう。

なんだけど、自分が咀嚼する過程では「誰の考えを他の人がどう批判しているのか」というのも吟味の上で重要になるので、原典のポインタは保持しておきたいというのはある。

あと、人と対話しながら考えがまとまるという意味で、その対話の中で「誰の何にこう書いてあって」という引用はとても役に立つ。

デジタル化されて以降は住民票の「原本」という概念にはもう意味がないのでは?つまり「写し」とわざわざいわなくてもいいような気がする。紙かPDFかみたいなメディアの指定は必要だけど。

さて、今日はVue2アプリのVue3化の最後のやり残しのやつに取りかかる。

昨夜いろいろ考えてた、知性と感情と倫理の関係とかそのあたり、 

社会契約論や正義論みたいな政治哲学の流れで考えるのと、倫理学や道徳哲学の流れで考えるのでは問題意識が若干違うような気がしてる。

プラトン、アリストテレスからカントまではだいたい古典として共通してると思うけど、その後近代~現代になると、取り上げるべき思想家も違ってくるし、同じ思想家でもどちらの文脈で読むかで解釈が変わってくるのではないか。

...などと思いながら昨晩は眠りについた。

そして、僕はこの分野の諸テーマ(特に近代以降)に関して、自分の考えが誰かからの借用であることは覚えていても、誰の何という著作に書かれていたのかなどは忘れてしまっている関係で、「誰のなんとか理論はどう」というようなことにはうまく言及ができないんだよな、ということに気づいた。

学者じゃないのでそれはそれでいいんだろうけど、なんかしっくりいかないので再読してメモなどを取っていくのがいいかもしれない。

みなさんおはようございます!

時間は「終了時刻-開始時刻」の差分ことじゃないんだよ、同じ1時間でも長く感じたり短く感じたりするじゃん。あの感じたほうの時間が本当の時間だよ。

と子供の頃から思ってたんだけど、ベルクソンはそれに「純粋持続」という名を与えていた。

ベルクソンの「純粋持続」は僕の言いたいことをずばり言ってるので、ベルクソンはできるやつ。

(謎の上から目線)

TOMOKI++ boosted

@tomoki 哲学は定義と論証の学問ですから。『永遠平和のために』は政治的パンフレットなのでそもそも書かれた前提が違う…。

TOMOKI++ boosted

哲学とか倫理、最新のバージョンだけあればいいわけじゃなくて変更履歴も保存しなくちゃいけないタイプの議論だからな。。

一方『永遠平和のために』はむっちゃ短い。広く伝えるべき時にはちゃんと短く書けるんじゃんね。

TOMOKI++ boosted

倫理について考える人が倫理的であると限らない、ということの好例ですね。

哲学者は各著作のページ数を岩波文庫1冊に入るくらいに収める、という倫理観を持ってほしい。

カントの『批判シリーズ』なげえんだよな。

先ほどの倫理の定義、ルソーの一般意志の定義とも通じるな。

rainyさんの主著はこれからたくさん出てくるわけですね。

TOMOKI++ boosted

カントの主要著作はだいぶ晩年に近いものらしいので人生まだあきらめたものではないと思っている。

ロールズだという指摘と、ノージックだという指摘がありました。あと、そういえば柄谷行人経由で読んだかもしれません。なので、多くの人が当たらずとも遠からずな定義っぽい、という雑な理解で今日のところは良しとしましょう。

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