長文再び
ああ,ボカロしか聴いてこなかったボカロPが,創作の源泉をボカロ以外のところに広げる貪欲さと見かけたことががない,ということを懸念されているのかな.
ここはそれほど心配しなくても良いかなと思っています.創造の衝動と感性をそれなりもった人なら自然とネタ元を外に広げると思っています.
そうでないPが多いといとなれば,外から参入してきたPに淘汰されるとも思っています.ここでは,ボカロを使った楽曲の市場がが衰退しないとう前提をおいています.
ボカロを使った楽曲の市場がが衰退しないとうのが,ボカロ曲に根拠をおいているのではなくて,ボカロなどの歌声合成技術が印刷技術のような世界を変えるような技術だと考えているからです.
だから,ボカロしか聴かずに衰退するPは個人の問題であり,趨勢の問題ではないと考えています.
TOMOKIさんが心配している「層」については3つの理由から、そこまで心配する必要はないんじゃないかな、と思っています。
1. そのような層がいたとしても、彼らはまだ若いはずなので、それなりに引き出しが少なくて当然。そしてその少なさは、15年前の同年代(テレビで流行りのポップスばかり見てた世代)とそう変わらないのでは、と思われるため。
2. 仮にそのような層がいるとしても、それは同年代のP(これからまた増えると思われる)の中でそこまで多数派を占めるか、疑わしいため。
3. また、そのような層が吸収してきた「ボカロ音楽」にも十分な音楽的多様性を認める余地があるので(たしかにそれ以外の音楽を聴くことが望ましいとしても)、そこで育ったことを悲観するほどではないと思われるため。
これは何度も何度も言ってるんですがトレースも模写もそれ自体は悪いことじゃないんです、でもそういう努力は陰でやってください、いちばーん嫌いなのは絵師さんの絵を模写したものを「#すこしでも上手いと思ったらRT」って出す事です。
ボカ老人の長文ですw
私はボカロしか聴かないおっさん(多分丼の中でもかなり上位w)なんで,かなり特殊な例w
若い頃に自分が刺激的と思えるような音楽に気づかなかったし,たどり着かなかった.当時,周りの友人が聴く音楽はファッションでしかなかったという印象.チープな音楽体験でした.当時は,自分には音楽はわからないと思っていました.
で,ボカロから音楽に触れることであらゆるジャンルに至る道が惹かれ(聴き専ラジオに負うこと大,多謝!),様々な試みに触れて,テクノロジーに支えられた音楽というのも自分の嗜好にはまるということもあり,それに感動できる事を発見できたのはうれしかったです.
ここで,自分がなぜその楽曲に感動するというコアの部分を言葉にはできないのですが,それは確かに存在するという実感があります.その感覚にボカロは必須ではないとも感じています.このような感覚があるのなら,ボカロしか聴いたことがないPでも感動できる曲を作れるし,また,ネタを求めてボカロの外にもいけるだろうと期待しています.
ボカロの新曲を聴くのが好きです。その日の曲をなるべくその日のうちに聴きたい。長年お世話になってた #vocanew タグを付けて twitterでつぶやいています。